身心一如


風がさわやかな秋分の日。


天草『月圭山 芳證寺』で行われた座禅会×ヨガに参加してきました。


大切なヨガーティーチャー仲間のYukaさんがふるさと天草のため、また、呼吸を深め心身をつなぐ時間を設けたい、という熱意から芳證寺の光龍さんと共同企画されました。


以前より興味のあった座禅ですが、今回初めて体験させていただきました。


30分間、静かでおだやかな時間。


そして、座禅の後のヨガが体に沁みる、沁みる。Yukaさんの心地よい誘導にふと我を忘れそうになるほどでした。


そして、今回の何よりの発見は、私が座禅について正しい知識を持っていなかった、ということを知ったことです。


座禅を組むのは宗派の中でも「禅宗」といわれる【曹洞宗】と【臨済宗】のふたつだそうです。全ての宗派ではないんですね…。


今回私が体験した【曹洞宗】は、目的も意味も求めず、ただ黙々と壁に向かって座禅をする〈只管打座(しかんたざ)〉。


それに対して【臨済宗】は、座禅を悟りに達する手段とする〈公案禅〉。

向かい合って座り、座禅を組む前にお題を与えられて、座禅中にそれについて考え、座禅の後に意見交換する、といったことだそうです。



そして、座禅の最中は、目を閉じません。


私は、閉じるものだと思っていました。


ヨガのいわゆる「瞑想をする」という行為の時は目を閉じて行うことがほとんどです。


しかし、私が体験した曹洞宗の座禅では、目線をまっすぐ前に向け、そのまま斜め45度に目線だけを下げてその一点を見つめていくというもの。

それが、とても新鮮でした。


目を開けているほうが、なぜか雑念が沸かず、集中でき、そして、時間があっという間に過ぎてしまったのです。


座禅をご指導くださった芳證寺の光龍さんに「なぜ目を閉じないのですか?」と聞くと、「眠くならないからです(笑)」とのこと。


それは本当だそうで、曹洞宗の座禅の場合は座禅を組むという行為自体が目的で、

調身…体を整える
調息…息を整える
調心…心を整える

により、「身心一如」

つまり、心と体をひとつにしていくことを意識する行為そのものが目的だとか。
だから、眠くなっては座禅という行為に集中できないのですね。

ヨガのいわゆる瞑想のように、
その先に「心の動きの止滅」や、「梵我一如(宇宙と心の一致)」があるわけではないそうです。

それが、座禅と瞑想の大きな違いだそうなのですが…。

うーん、難しい。


ちなみに、


行為:座禅、ヨガ、マインドフルネス

状態:瞑想


なので、

ヨガや深い呼吸を通して「瞑想状態になる」

座禅を繰り返すことで「瞑想状態になる」


となるはずで、「瞑想をする」という表現には語弊があるのだろうか?


まだまだ、経験も勉強も足りません。

光龍さんにもっと色々聞きたかった!


全てが心と体に沁みわたる時間。

次回を心待ちにしています。

aozora yoga kumamoto

江津湖ほど近くにある アットホームな自宅ヨガスタジオ