あけましておめでとうございます。
今年も、aozora yoga kumamotoをどうぞよろしくお願い致します。
みなさま、それぞれの場所でどのような新年をお迎えでしょうか。
熊本市江津湖周辺は、冷え込んでいるものの、雲ひとつない快晴。
年始は1月7日よりレッスンを始めます。
年末年始で緩んでしまった気持ちや体を少しずつ調整していきましょう。
私は、早くレッスンでヨガをご一緒したくて、うずうずしています。
さて、昨年の話になりますが、6年ぶりにクリスマスイブ礼拝に参加することができました。
物心ついたときから教会に通い、キリスト教に影響を受けながら育った私にとって、クリスマスはとても特別な日。
出産するまでは、どんなに忙しくても必ずイブ礼拝に参加していましたが、出産すると夜7時という微妙な時間帯に子連れで出かけることは、北極遠征ばりの難しさで、毎年切ない気持ちを抱えながらクリスマスを自宅で過ごしていました。
昨年は、息子もだいぶ大きくなり、夫も理解を示してくれたので、家族で礼拝に行くことにしました。
神水教会に久しぶりに足を踏み入れた瞬間に胸にぐっと熱いものが込み上げ、6年ぶりに讃美歌を歌うと、涙が堰を切ったように流れて止まりませんでした。
マスクの替えを持って行って本当によかった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
1時間、教会という空間の中で、ほぼ放心状態で座っていて、「たとえ持っているすべてを失ったとしても、私には帰れる場所があるのだ。」と心安まる思いでした。
昨年、瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりましたね。
こちらの地元新聞にも連日たくさんの著名な方が寄稿されていて、改めて業界を越えて大きな影響を持っておられた方なのだな、と思いました。
なぜ、瀬戸内寂聴さんがこれほどまでに人々に愛されていたのか。
それは、彼女がこの「帰れる場所」のような存在の方だったのではないか、と考えました。
瀬戸内寂聴さんは仏具店を営む家に生まれ、執筆活動を続けながらも出家されて、晩年は仏様に近いところでお過ごしでした。
人が運命に翻弄され、煩悩に苦しめられ、絶望や悲しみで生きる意味を見失いそうな時、瀬戸内寂聴さんの著書やお説法が、そして彼女のあの大らかな笑顔が、「大丈夫、大丈夫。あなたは元気に生きていけますよ。」と背中をさすってくれたのではと思います。
昨年のクリスマス礼拝でのお説教で、とても印象に残る一言がありました。
「誰もが、神様に愛されるに値する存在です」
昨年末は、心がぎゅっとなるような、悲しいニュースが続きました。
孤独は、人を絶望させるのだと思います。
人はただただ、愛されたい、愛したい。
「あなたは愛され、大切に扱われるに値する人間だよ。唯一無二のかけがえのない存在なんだよ。」
誰でもいい、どんな存在でもいい、自分を丸ごと全肯定してくれる何かがあれば、人は生きていかれるのだと思います。
コロナ渦も3年目に入り、みんなさすがに疲れてきているなぁ、と感じます。
正直、私もしんどいです。
早くマスクを外してレッスンしたい…。
身近な大切な人とのつながりを大切にして、孤独に心をむしばまれててしまわぬよう、みんなで支えって、笑い合っていきたいですね。
私も、「ヨガ」という4000年という年季の入ったツールの学びを続けながら、肉体を通して心と向き合う時間や空間を提供できるよう、今年も精進してまいります。
aozora yoga kumamotoという空間が、どなたかにとっての「帰れる場所」になりえるのであれば、これ以上の喜びはありません。
ご縁のある皆様に心より感謝しています。
2022年のご多幸をお祈りいたします。
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